再会。
6/25にH25年度の譲渡が始まった模様。3編成、6両。
仕事中に、西浜松のコンテナの中に埋もれるように移動された119を見つけた。
すでに3両が運び出された後だったが、残る3両もクレーンで吊り上げられトレーラーの荷台に載せられるところだった。
通常だと、今晩には三重県某所まで運ばれてしまうから、仕事が終わった明日、某所まで行ってみようと思って計画を立てた。
しかし、翌日になって調べてみると、まだ浜松周辺にいるらしい。
夜間の走行しか許可が出ないはずだから、今日は一日、夜まで動くことは無いだろう。
無理行って、車を飛ばしてもらった。
思いもしない、119系との再会だった。
11/12/03 R5+R6
11/12/05 R2+R8 廃車回送
浜松に到着後すぐにアントにより移動、廃車置場へ。
その直後から、銘板をハンマーで叩き割られる車両がほとんどだった。盗難防止か、籍を抜くためか。
数々の噂が飛び交ったが、結局ワンマン車6編成を残して解体された。
海沿いにたたずむ電車を人々はどのように見ていたのか、周囲には釣りを楽しむ人が多かったが、見向きもしない様子。
途中、子供連れの家族が不思議そうに近寄ってきたくらい。
誰も来なくて幸せだった、好き勝手にこいつとの楽しい思い出を頭の中で蘇らせた。
もう開かない。ちょっと重いドアを何度、手で開けたことか。
動かなくなってからもう1年半経つ。まだ1年半か。
そんな様子をまったく見せず、雨ざらしだったのに、まだまだ現役みたい。
表情ひとつ変えないこいつらだから、色褪せもしないもんだから、当時の記憶も簡単によみがえる。
何度も乗った。 何度も座った。 軋む台車に唸るモーター。 寒い室内に、夏場は虫。 古臭い手動ドアに、ブレーキのエアー。 でもそれが飯田線だった。 |
暖房・切・扇風機 室内灯 入・切。
冷房は後付けだから、ここにはスイッチが無い。
ちょっと違うのは、今日は台車を履いていないこと。
いろいろ大変だったワンマン車。今となってはいい思い出。
辛かったけど、こいつだから許せた。
電話みたいな放送装置。電話も兼ねてた。懐かしいな。
すごいところにドアボタン付いてたもんだから、なかなかボタンに気づかなかったな・・・
散々歴史を重ねたけど、さらに新しい歴史を塗られる。まだまだがんばれる。
たまらなく熱かった、抵抗の熱。
いい思い出をありがとう。
まだくたばる事を許されてない。少し姿は変わるけど、もうちょっとだけ頑張れ。
少しきれいになって、また北陸の地で会おう。頑張れ。