3/11 2レ乗車記録...
直前にいろいろとあったものの、申し訳ない気持ちも半分、何とか熊本まで駆けつけた。
さかのぼること一ヶ月前、10時ジャストに機械を叩くと、NOの文字。ならばと喫煙にしてもらったらあっさり4つ、切符が出てきた。
職場の同僚、先輩と4人で熊本旅行。前泊の博多ではホテル内で恐ろしい状態だったようだが、残念参加できず・・・。
女性でもこれだけブルトレに食いついてくると言うのだから、なんだかんだ言っても好きなんでしょう^^;
熊本駅にはどこもこの状態。ちょっと驚いた。
九州最後の寝台列車と言うことだけあり、盛り上がり方は尋常じゃなかった。
たくさんの沿線住民、ファンの見送りを受け、われわれの『はやぶさ』は熊本を出発。
翌朝10時の東京到着まで、約18時間の旅の始まり・・・。
車内ではマニアが走り回る。
写真は同僚だが、ひっきりなしに行き来するマニアには4人ともウンザリ・・・。
それもそのはず。乗ったのは『はやぶさ』の最後尾であったため、後部展望を眺める人、録音に必死な人、いろんな人が行き来していた。
オードリーの春日に激似の人物が居たことは、4名だけの内緒・・・(^^ゞ;;;
その車内、男女4名で旅行するのは珍しかったのか、車掌が声をかけてきた。
懸命に話を聞きだそうとするマニアにウンザリしたらしく、われわれのところでしばし休憩...とのこと。
いろんな訳もあり、門司までのひと時、車掌といろいろと話す機会があったことは、いい思い出。
一月、お見舞いに九州へ行ったとき、せっかく九州に行くんだからと行って、長洲付近まで行って撮影した42レ。
そのときの牽引も90号機だった。
2009/1/15 大野下〜長洲 |
力強く、たった2時間弱の道のりをひた走る。
途中博多では、発煙騒動で15分程停車。ホームのマニアからの報告だったということだが、そんな形跡なし。
車掌がわれわれのところにまた来た(笑)。その後の会話は内緒・・・。
門司、到着。
ここで先着のはやぶさは、関門牽引機のEF81にバトンタッチ。一旦東京方に編成ごと引き上げる。
数分後に隣のホームへ『富士』が入線。
フラッシュは焚かない!!!と駅員の怒鳴り声も効果なく、一生懸命にフラッシュを焚く連中・・・。
無事連結を終え、12連となった富士・はやぶさは東京を目指す。
門司で連結作業には目もくれず、お世話になった車掌にお礼を言い車内へ戻る。
富士・はやぶさになったからにはこれがやりたかった。
翌朝浜松で同僚が下車するまでは、旅を楽しんだ。
持ち込んだ酒、おつまみ、弁当で夕飯・・・。
途中、防府手前だっただろうか、瀬戸内海に反射する満月は、最高の眺めだった。
東京到着数分前。ちょっと興味あって、66を見に行った。案の定、先頭部分に人は多かったが、誰も写真は撮っていなかった。
でっかいロクロクをこんなに近くで見ながら、終点東京。
到着までの数分間、知らないマニアにその場を整理され、
『あなたはここ、ハイ動かないで!!』『あなた写真撮るの??じゃぁこっちね』・・・誰だよアンタ(笑)
お世話になりました。
写真を撮りながら、先頭を目指す。写真が撮れるとはまったく思っていなかった。
撮れなくても、ちょっとその場に居たかった。
引き上げた49号機が再び客車に寄ってくる。
いっせいにシャッター音が響く中、恐らく連結は完了した。
回送が出発する前に東京を発たなければならない。
さらば、富士・はやぶさ。東京発寝台。
思い返せば、地元でこつこつ撮ることもなく、気が向いたら撮りにいく程度だった。
なかなか成功しない夜間撮影。
こんな写真の量産だった。
忘れもしない、8月。横浜で機関車故障により、4時間以上の遅延でやってきた1列車。なんとPFの牽引だった。
仕事だったので撮影はできなかったが、ホームで見たPF牽引の列車は最高だった。
それから数ヶ月、12/13のPFは、2レが鹿と衝撃、ブレーキホースがやられたようで、またもPFの出動。
しかも今回はHM付きと言うこともあり、かなり人が集まっただろう。
翌12/14に0系最終運転に乗車するため新大阪に泊まっており、たまたま撮影ができた。
雨にやられてHMは際どいが・・・
時には静岡まで行ってみるときもあった。
先端ぎりぎりまで迫る富士・はやぶさは、決して満足できる撮影をさせてはくれない。
このHMもあと1ヶ月を切った、という日だった。
一番見慣れた発車時刻と駅。これが撮りたかった。
廃止まで、自身に残されたチャンスは2回。懸命に撮影を続ける。
いつからここまで追いかけるようになったのだろう。
まだ成功とはいえない。
3/8。誰の力か。感謝します。
最終日は見事に仕事。MLながらも最後、1レも最後。とんでもない数の人が押し寄せていた駅の、ある意味特等席ともいえる場所から1レを見送った。長い汽笛を響かせ、もう戻らない最後の旅へと向かった。