最終日。

運命の日。

 

 

 

なんら昨日までと変わらないいつもの朝が来た。
強いて言えば、少し人が多いこと。

いつもどおりの朝、はまかぜが轟音を立てて鉄橋を渡る。

うん、いつも通りだ。

 


5D

 

 


171D          5D


180D


9004D 延長運転 餘部臨停 “はまかぜ4号”

 

その後豪雨により運転見合わせ。

ウヤ:181D,183D,184D(浜坂〜香住間),185D(香住〜浜坂間),186D

19:50、運転再開。香住抑止の179Dが初列車。


179D:キハ471106+キハ471

 

回8850D(浜坂で抑止、3時間31分延発)
キハ181-26+キハ181-45+キロ180-12+キハ180-26 ※ダブルヘッダー

182D(179D折り返し。スジは186D):キハ471+キハ471106

187D:キハ471012+キハ4710

はまかぜ5号(香住5分延発)
5D:キハ181-27+キハ180-79+キハ180-48+キハ180-77+キロ180-13+キハ181-21

 

回9560D:カツテン183Dとして営業運転。

回9562D(浜坂5分延発):キハ4710+キハ471012

回9806D:キハ181-21+キロ180-13+キハ180-77+キハ180-48+キハ180-79+キハ181-27

 

 

最終列車まで自分の目で見送った。

 

2010/7/16 23:58。

最終列車を無事見送った赤い餘部鉄橋は、98年もの長い使命を終え、役割をコンクリートの橋へと託した。

 

 

うれしい思い出、悲しい思い出、すべて抱いて、

自分の目の前で歴史の中の存在となった。

 

 

 

 

 

日付が変わった瞬間、98年の歴史にピリオドを打つための作業が始まった。

 

ある夫婦が、ずっと鉄橋を眺めていた。

思い出話でもしながら、ずっと近くにあって、当たり前だった鉄橋の存在が消える瞬間を見ていた。

あの夫婦の人生に大きく関わった鉄橋は、儚く簡単に、当たり前のように崩されて行く。

 

鉄橋に登って遊んだこと、鉄橋の足元をランドセル背負って通ったこと、

隣町まで列車で通学すべく、あの坂道を駅まで毎日通ったこと、列車の通過を時計代わりに使ったこと、

鉄橋に布団を干したこと、干し柿を掛けたこと、鯉幟を掛けたこと.......................

思い出せば終わりがない。

生活に密着しすぎて、そこにあるのが当たり前すぎた。

 

 

夫婦は何を思うのだろうか。

 

ずっとずっと、その場で鉄橋を眺めていた。

 

 

やがて座り込んだ夫婦は、まだずっと鉄橋を見守っていた。

距離をおいて並んだ二人の影は、それぞれが同じ思い出を辿っているようにしか見えなかった。

ただ黙って、ひたすら今までの思い出を交わしていたことだろう。

 

 

 

いつまでもずっと鉄橋を見上げていた。

 

午前2時を回っても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別に死んだわけじゃない。

ただ、役目を終えただけ。

 

 

手元にはあふれるくらいの思い出がある

 

 

いつまでもそこにあの赤い大鉄橋がある

 

 

 

 

そう信じてる。

 

 

また会いに行きます。