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2008/3/14〜16 余部鉄橋へ。
2ヶ月ぶりの餘部。2ヶ月も間を空けたら、とんでもないことになっているんだろう・・・なんて覚悟したつもりだったけど。
ホームへ降りた瞬間に、自宅へ帰ろうかと思ったのは事実、とんでもない光景が広がっていた。
ここは田舎の駅。決して新幹線が通るわけでもないのに、鉄の柵があった。
さてさて、案内板に書かれている通り、この道を降りて宿へ向おうか
仕方なく、新しく設置された大嫌いな踏切を通るしかないようで。
通路のすぐ横を列車が通過していく。
踏切の音が餘部に響き渡る。警報ランプは無いけれど。
鉄の柵と木の床で出来た超簡易通路を通って、渋々宿へ向かう。
昔は通れた道も、鉄橋下を通る道はすべて完全閉鎖。
鉄橋下をくぐることは許されないので、こうして通路を作ってみました、とでも言いたい?
こんな道の設置の仕方に、橋脚は同意したのだろうか。
するわけないか。
見上げれば、いつもと変わらない鉄橋が・・・・ない。
作業員に列車の接近を知らせるための緑のランプ。
実は、お隣の鎧駅でも変化がありました。列車本数も少ないし、利用客も少ないし、海側のホームは廃止。
近々ポイントもレールも撤去されて、鎧駅は1本の線路だけが残るとか。
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快晴の昼下がり。
違和感があると思い、工事現場を見てみたら・・・。新橋梁の柱となる部分の型枠が、1本追加で組まれて背が伸びました。
今日の作業は早めに終了。
大きくなったねぇ、なんてのんきなこと言っている場合ではない。
その時、鉄橋をはまかぜが轟音立てて通過。
はまかぜは餘部のこの状態が見えているのだろうか。
このアングルも、踏切の設置で可能に。 |
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誰かの忘れ物だろうか。お立ち台へ別れを告げに行くと、0系新幹線のストラップ。
0系も消え、餘部も消え・・・。一体何を求めて進化しているのだろう。
個人的にはお立ち台へいけるのは最後ということに気づき、誰も居ないお立ち台に登ってみた。 3年前のあの日。運休になったとは知らず、何時間もここで出雲を待ち続けた。赤いDD51がトンネルから飛び出てくるのを夢にまで見て。 出雲の廃止が決まって、お立ち台には何百人もの人が押し寄せて大変なことになって・・・今はないあの駅へ登る道にまで人が並んでいたっけ。 あまるべロマン号の運行を聞きつけ、観光客がここへたくさん集まって、携帯やコンデジ片手に家族でワイワイやっているのを、後ろから見守ってみたり。 国鉄色のキハ58が走るって聞いて、今までに見たことのないくらいの人が餘部に押し寄せて、お立ち台は入場制限もかかったっけ。 最後の冬と言われた2006年の冬は、雪は全く無かった。 想いでのあまるべ号が走れば、またまた大混雑のお立ち台。ここを避けて山登ったのに、そこも大勢の人が来たような。 もう鉄橋は無くなったというガセネタが出回って。それでも餘部へ来る人の数は依然多かった2007年の夏。 2007年末には初めての雪を見ることができ、猛吹雪の中、鉄橋を駆け抜けたはまかぜがかっこよくて。 お立ち台が閉鎖になると聞いて、今までの記憶が一気に出てきて、ちょっとウルっとしながら思い出してみたり。桜が伐採されるという話に、地元の方が伐採延期の要請をJRにしたお陰で、開花まで延命されたり。 その片隅で、2世を作るんだと張り切って、枝を数本持ち帰った老人もいた。 |
それでも、だいぶ人は減ったように思う。
それぞれの思い出の中に、この鉄橋の存在を深く刻んで欲しい。ずっと忘れないで欲しい。
どんな写真でも、記念写真でもいいから、こんなに立派な鉄橋がここに存在したことを忘れないで。
案内板が一番寂しそうだった。
気持ちのまんま、写真を撮ってみたらこうなった。
信じたくはないけれど、信じなければいけない存在する光景。
次はいつ来れるかな。一体どんなに変わっているかな。